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プロパガンダの妙と蓮池透氏

蓮池透氏のインタビューが今日の中日新聞/東京新聞に大きく掲載されていた。

 

主旨は、以下の通り。

米朝の対話の中で日本がイニシアチブをとるべきだ

・日本は拉致問題の政治利用はやめるべきだ

やはり親北(*1)的発言が目立つ。

 

そのこと自体はさして大きな問題ではない。

問題は、日本の言論界隈が、90年代後半に北朝鮮のえらい人が考えた、"安上がりな"プロパガンダ、その思惑通りに動いてしまっていることだ。

 

整理する。

2000年当時、拉致問題が明るみに出た朝鮮が行うべき優先目標は

拉致問題追求の矛先を弱め、日本からの人道支援と対話を引き出すこと

 

その切り札が

「部分的に被害者を返す」というカード

であった。

 

残りの十年で何が起きたか。

 

・最強硬論者(蓮池透氏)の1人が転向

・家族会からの追放(一枚岩だった家族会の弱化)

・左派言論界へ(*2)

・対話重要性マン・拉致問題政治利用するなマンと化した透氏

 

北朝鮮がやらかす度に、朝日/毎日/中日新聞が庇う。そのときに登場するのが、この、立派な「北朝鮮の対日スポークスマン」である。

 

北朝鮮にとって見れば、家族会強硬派さえ狙い撃ちにすればよかったので、正直横田さんと蓮池さんどっちを返すかは、どうでもよかった。

もし返す人選が逆だったら、横田夫妻が今の蓮池透さんの立場にいたかもって常々思う。だから、あまり批判はしたくない。

 

批判せらるべきは、今の状況がどうやって生まれたものか理解しようとしないこと、新聞が垂れ流す情報をまったく鵜呑みにする心構えの2つであろう。

 

それにつけても驚くべきは、日本の政治/マスコミの構造をちゃんと理解して(仕込みもやった上で)効果的なプロパガンダを実現した、北朝鮮のエリートである。

 

宣伝の妙は、いかにコストをかけずに効果的に人を操るかとは言ったものだが、むべなるかもだぜ。

 

 

 

(*1)韓国では従北派というらしい。スパイ呼ばわりである。国柄が出てて面白い。

(*2)最近は辻元清美氏の政治献金パーティに参加して、安倍首相を嘘つき呼ばわりである。人間ここまで変わるんやなって。

御釜ハイキング

今日は蔵王連峰の山形側の峰、熊野岳〜馬の背〜刈田岳を散策した。いわゆる御釜コースである。御釜は火口がカマの形をしていることによるもので、まんまのネーミング。

 

あいにくの天気(霧が立ち込めていた)で、火口をくっきり見るのは絶望的だった(*1)ため、高山植物を見るのと、トレッキングを楽しむことに切り替えて臨んだ。

 

まずは、蔵王温泉郷の3つあるロープウェイの1つ「蔵王ロープウェイ」で地蔵岳の頂きに移動し、そこから、峰沿いに熊野岳を目指すルートをとる。

 

ロープウェイの中で、短パンの格好では寒いかなと思ったが、山頂駅に着いてみると、気温は15度前後であり、何ら問題なかった。

 

途中の分岐(?)で乱雑に<近道>と書かれたルートがあり、どうもパンフレットにもそのような道がある体で書かれている。どうやら熊野岳山頂の神社に直接アクセスできるようだ。

 

その実、このルートは、道というにはあまりに抽象的というか、ところどころの岩に白く「○」マークをつけただけというヤッツケのルートであった。パンフレットにあるんだからと信じて、淡々と20分ばかり登ると、確かに、神社に着いた。熊野岳山頂到着である。

 

驚いたのは、docomoの電波がこんな所でも拾える点だ。流石である。後で知ったことだが、docomoと観光境界は、登山アシスト用のアプリを提供しており、そのためにGPSと4gが拾えようにお膳立てをしているとのことだった。

 

後は、火口のカルデラ地形(馬の背という。やはりネーミングが直球だ)に沿って進むと刈田岳の頂上に着いた。ロープウェイの駅から、90分で目的地到着である。(途中写真をパシャパシャやっていたのでロスが多いが)

 

結局天候回復はせず、かえって刈田岳で昼食中にどしゃぶりの雨が降る始末である。復路を戻るのはちょっと萎えてしまったので、バスで温泉郷まで戻って、公衆浴場で暖をとった。運動後、しかも雨に濡れて冷えていたので、熱めの湯は最高だった。

 

難易度的にも、行動食確保のしやすさ(温泉街コンビニあり)、ロープウェイやバスといった交通手段のバックアップ、所要時間の短さから、総合的に初心者向けで楽しみやすかった。普段なかなか見れない植物が見れて楽しい。

 

惜しむらくは、夏に見頃を迎えるアサギマダラに出会えずじまいだったことだ。。今度再チャレンジしようと思う。

 

 

 

 

(*1)蔵王連邦は火山なので、火口近傍はITVカメラで常時監視され、かつそれはネットで配信されている。よって、山頂での視界レベルがどのようなものか、大凡分かるのである。

湯煙蔵王

というわけで、蔵王温泉♨️でまったり過ごしている。

 

蔵王は、信濃野沢郷等と同じくスキー場に隣接しているのだが、野沢が夏には只の温泉街になってしまうのと比較し、こちらは、蔵王連邦のプチ登山が楽しめる。ただ、源泉の湯温が低めなので(50度くらい)、温泉卵は皆無である…(悲しみ

 

そこかしこで立ちのぼる湯煙と硫黄の匂いが旅情を掻き立ててやまない。

 

温泉散策ツアーに参加して、ガイドさんに蔵王の由緒を学んだあとは、山形郷土料理を賞味。

(「桃園」にいきました。オススメ。)

 

特筆は、「ひっぱりうどん」である。

 

鍋から麺をひっぱるのと、薬味の納豆(!?)が糸をひっぱるのとで、こう言うらしいが、かなり美味しかった。納豆と鯖の水煮を入れるのが新鮮でいい。

 

馬刺しのユッケも非常に美味でした。

ごちそうさまでした。

 

 

明日は御釜に登ろうと思う。

乗り物に乗るという贅沢

私は旅の中でも「乗り物」に乗っている時間が好きだ。

それは、乗り物に乗るという行為が、本質的に贅沢なものであり、それを享受しているということを実感できるからだ。

 

どういうことか。

古来、旅は徒歩に限っていた。

死と隣り合わせであり「何があってもおかしくない」様相が色濃かった。これを最低限保障するには、駅伝制度や宿場の整備、警察機構の確立が大前提となる。

 

ホモ・サピエンスがアフリカからペルーまで版図を広げたのは、決死行の連続によるものだということを忘れてはならない(戒め)

 

そして、車が発明され、乗り物という概念が生まれたのちも、それにに乗って移動する、というのは、相当な社会的身分でなければできなかった。これは、何も始皇帝行幸の頃の話ではない。近代に至るまでそうだった。

 

となれば、何ら脳や肉体のリソースを割くことなく、目的地まで身をまかせ、ただただ景色を満喫したり、大幅な時間短縮を図ったりするこの行為は、歴史的には大変贅沢であり、この実感を噛み締めつつ、旅情の断片とするに若くはないのである…

 

 

 

ちなみに俺は新幹線でこの記事を書いて眠くなって寝た。始皇帝が俺になった夢をみているのか、俺が始皇帝になった夢をみているのか。

 

考えるのは、もうよそう。

豊田市美術館に行ってきた。

奈良美智 for better or worse鑑賞。

少女のデフォルメの絵の人の特別展。

ナラミチさん。(ゆうそくよみ)

楽しめた。

 

印象に残ったこと

印象に残ったのは、2点。

 

①最初の展示室

に、陳列された、奈良さんの子供〜青春時代の事物。

レコード、人形(こけしマトリョーシカ、etc)、好きな本の数々。

彼の≦心象の原風景≧を最初に持ってくることで、

文化的バックグラウンドを端的に理解させる効果。

 

②繰り返し出現するモティーフ

ご存知の通り、奈良さんと言えば女の子の絵だが、

その脇を飾る小道具も、いい味を出している。

とくに以下のモティーフは、頻出。

 

オッドアイ、描き込まれた瞳、花、家、犬、

ナイフ、眼帯、きぐるみ等。

 

所感

 

パンフレットで見たときには何ともなかったが、

実際に大きな絵として、まじまじと見ると、

可愛さの中に、どことなく不安を覚える、不思議な感覚を受けた。

 

特に、後半の絵だったか、ちょっとロンパリってて、(*1)

片方の目は鑑賞者と目が逢うが、もう片方はどこを見てるのかよう分からん。

そんな絵にすごく惹きつけられた。

鑑賞者の過去か未来かを見通してるんやろ(適当)

 

ここで、思い返すのは、展示の序文に記されたフレーズ―

「観るものを内省へと導く精神性」である。

知らず、この無意識に喚起された内観の結果として、得も言われぬanxiousな気分が生まれているのだとしたら、主催者の思惑どおりに、「俺は楽しんで」いた・・・?

 

少女の絵が、たまにちょっと半笑いだったり

やけに挑発的なのはそういうことなのだ。

うるせーよ。

 

 

余談

外の売店の水出しコーヒーがうまかったです、まる

 

 

 

(*1)London, Paris, maybe Tokyoのことではない。斜視のこと。

ひめゆりの塔所感

先日、ひめゆりの塔に行ったのだが、半日かけて、じっくり展示をみて、思ったことを整理する。とても興味深い体験だった。

 

労働環境の辛さ、衛生状況の劣悪さ、逃避行の悲惨さ。

この3点は、殊更に強調される。

 

吐きそうになりながら、展示資料は全部読んだ。不謹慎だが、すばらしい資料の数で、満喫させてもらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ので、「戦争の悲惨さ」以外に、思ったことを書く。

 

(1)ビジネス要素

 原爆ドームよりも、これを強く感じた。知覧に近い。可愛い小学生からも、容赦なく、淡々と入館料をとる。原爆ドームはタダ同然なのにね。(*1)

 

(2)イデオロギーの再生産

  ちょっと、匂いがキツすぎる。

  リタラシーのない沖縄(本土も?)の小学生は、何となく、「本土人は悪者、日本軍はひどい、看護婦さんは可哀想」という印象を受けてしまうのではないか。

  これで、琉球新報とか読み始めた暁には染まってしまうのも頷ける。

  その子供が長じて、下の世代の小学生を引率して再訪する仕組みである。

 

特に以下は私自身、気になった。

 

(i)ことさらに「本土」「日本」と書く

沖縄戦が、「沖縄の帰属を巡って、隣国の日米両国が相争った」戦いのような印象を受ける。そんな馬鹿な。沖縄は日本じゃない感が伝わってくる。

 

(ii)軍の横暴をことさらに抽出している

おそらくそれら軍人さんの中にも沖縄出身は多い。これも当事者意識の欠如のなせるわざである。

 

(iii)日常生活の項目

女学生の学生生活の節々に日本文化disが多い。教科書とか。さくらは、玉砕のメタファーだとか。うそーん。

神道の項目を間違っていたり、さらっとdisっていたりとトゲがあるのも、なんだかなっておもう。大麻は「たいま」ではない笑

  

(3)そのほか

展示館出口にあった折り鶴だが、小学生が一生懸命折ったものに混じって、極左団体の労組のものがあった。しかもクオリティがやけに高い。ヤミ専従で忙しい最中折ったとは考えにくい。内職の折り鶴募集ってこれのことだったのか…

 

 

<まとめ>   

・聖地化・神格化されているが、ビジネス要素も大きい。

 

イデオロギーの発信基地である。「世界観」を意識的にガッツリ切り替えていかないと、無駄に引っかかりを覚えて疲れる。逆に、それができれば、よい時間を過ごせる。

 

 

<余談>

そういえば、ひめゆりの塔で今の天皇に火炎瓶を投げたテロリストが議員になったと聞いた。すごい世界だな。。。

 

 

 

(*1)最近、原爆ドームの資料館も値上げしたようだ。

「楽しむ」ということ、はびこる「おかゆコンテンツ」

昨日、別々の人から「××の何が楽しいのか(面白いのか)分からん」という話が出た(*1) 

xxには、お盆の仏教行事、ワイドショーの不倫とか言っていたように思う

 

それを聞いて、一瞬考えこんで、

物事の≦楽しみ方≧ってのは、以下の①-④のうちどれかで、

上の話は、②の問題なんじゃねーかな、と思った

 

 

 ①純粋に心の底から楽しい

 ②楽しみ方(フォーマット/プロトコル/コンテクスト)を知った上で
  それに沿うことを楽しんでいる

 ③上の①②で楽しんでいる「場」を楽しんでいる

 ④上の①②③で楽しんでいる自分を、楽しんでいる(酔っている)

 

 

例としては、
①は、そんなにない。三大欲求とか戦いとか、超原始的なもの。
②は、だいたいこれ。多少知識とか、理解がいる。
③は、お国柄としてあると思う。Xmasとかの行事ごと、ニコニコ動画はこれ
④は、”おれつえー”ってやつ。あと、意識高い系(笑)がそれ

 

 

 

今の社会は、そんな(勉強してる)余裕がないから、

①or②(ただし楽しみ方が一瞬で直感的に分かる)にコンテンツの性質が偏ってる

これを「おかゆコンテンツ」と呼び習わしている。

 

そんな流動食すすってるだけで、そんなんで、本当にええんかなと思う

①〜④を全て包絡するような、よくばりセットこそ真の娯楽なんや

 

 

 

 

 

 

ということを、ざっくり話したら(*2)

となりの先輩は同意してくれたけど、最長老は「漢文か?」とスルーした(*3)

 

 

 

 

俺の話はお粥コンテンツではないようだ。。。

 

 

 

 

 

 

 

(*1)この偶然は、synchronicityではなさげ。

夏休みが近くなったことで「楽しいこと、なんかねーかな」と考える余裕が生まれる

 →「楽しいこと」を想像しようとして、逆に、最近の「楽しくない」事物が浮かぶ

 →口に出しちゃった

(*2)こんなことを素でマジレスしちゃう人間はいわゆる「楽しくない」人である

(*3)この人はうちの部署の巨匠なのだが、(俺が古典が好きなことを知っているので)

 何か典籍の一説を引用したのかなと、いつも決めつけている。ようは聞き流しである